よく聞くフレーズですね。
「恥ずかしいのもお仕置きのうち」
私はどうも、このフレーズに反射的に拒絶反応を示してしまうんだなー。
そもそも、お仕置きとしてのスパンキングにおける「恥」は2種類だと思います。
一つは犯した過ちに対する「恥」。
これは誰もが最初から自動的に感じる「恥」ではなく、既にしてしまった自分の行動の軽率さを「知る」という段階がありますよね。
最初から「知っている」のなら、過ちは犯さないでしょうから。
そしてこの「恥」をお説教やスパによって思い知らされるというのは、ディシプリンスパにおいて、一つの大切な要素であると思います。
もう一つは、お尻を出すことに対する単純な羞恥心と言う意味での「恥」。
ここからはスパンキが女性であること前提のお話になりますが、これは常日ごろ文化的な社会生活を営んでいる文明人なら、当たり前の反射のように感じるものですよね。
「恥ずかしいのもお仕置きのうち」と言う時の「恥」とは、主にこちらかと。
この場合、普段秘めたる部分をさらけ出すことに対する恥ずかしさと共に、何にせよお尻がセクシャルな意味合いを持つことと無関係ではないからこその「恥」です。
お尻をさらけ出すこと、さらに場合によっては大事な部分すら見えてしまうかもしれないことは、そりゃあ大人のレディであれば当たり前に「恥ずかしい」訳で。
もちろん「辱め」が当然、快とは結びつかない嫌なこと、2度と経験したくないことであればこそ、それはそれで一つの罰として有効だとは思います。
でも、私は勘弁(^_^;)
「お尻叩きのお仕置きをされると言うことはまだまだ子どもなのだから、恥ずかしいなどと言う権利はない」だとか、言葉によって殊更に「お尻を出して恥ずかしいね」「大事なところも丸見えだ」などといった辱めを受けることは、ちょっとホントにどうにも耐えられないのです。
スパンキングで与えられる痛み以上に2度と経験したくない嫌な事であれば、ある意味罰としてはものすごく有効なのかもしれないんだけど、私には罰の実効性以前に、恥ずかしさと拒絶感に注意が奪われてしまって、反省などとてもできなさそうでもあったり。
もちろん、下着まで取ってお尻を出してしまうのは確かに恥ずかしいことですが、それには「より痛くするため」という大義名分があり、スパンカとスパンキ1対1であれば、まあいいのかなと思えるんだな、これが。
で、何でそこまで辱め系が嫌なのかというとね。
「恥ずかしい」という感情には、それを見られる第三者への意識、他者の存在があるでしょう?
で、女性がお尻をむき出しにしてぶたれている姿というのは、どう見たってセクシャルな絵な訳です。
本来秘められた姿であるべき(と文明社会ではされている)セクシャルな姿を、第三者に晒すから、第三者の視線に対する意識があるからこそ、「恥ずかしい」という感情が生まれる。
スパンカ以外の存在が実際にそこにあるとすれば、スパンキはそのセクシャルな姿を目にする誰かの存在を意識して「恥ずかしい」と感じるのが普通だし、スパンキとスパンカ1対1である状況であれば、スパンキのその姿を見ているのは当然スパンカ一人しかおらず、そのスパンカが「恥ずかしいのもお仕置きのうち」なんてフレーズを発すれば、そこにはどうしてもスパンカの性的視線の存在を感じ取ってしまう。
それが悪いとか何とかではないし、スパンキにしたって、スパ欲と性欲は決して切り離せないものだと思ってます。(性的なことは別にまたページを改めて書きますが)
けれどディシプリンスパ派の人は、その性的ニュアンスってヤツが表に出てくることをとても嫌うんですね。
だから、スパで全裸はヤダって人は結構いるでしょう?
私の場合、そのこだわりがもっと強くなっちゃった感じ。
スパで全裸の図に「お尻叩くのに脱ぐ必要ないやん!」ってツッコむのと同じ感覚で、私としては「恥ずかしいのもお仕置きのうち」なんてセリフには「イヤ、お仕置きと関係ないやん!」となってしまうのである…(^_^;)
やっぱり、叩きたい人と叩かれたい人がいるのではなくて、罰を受けるべき者と与える者がいる。
お仕置きは、そんなストイックなものであってほしいのです。
そしてストイックであるほうがより萌えるのです、ドキドキなのです、エロイのです。
だから小説の中でも、スパンキがおしりを出させられて恥ずかしいと言った時、スパンカは「恥ずかしいのもお仕置きのうち」となどと返すよりは、より痛くするためだといったニュアンスのセリフのほうが好み。
そして自分がスパされる場合なら、こーゆーセリフは本気で勘弁です(汗)
おしりを出させられるのは普通にかなり恥ずかしいので、たとえ恥ずかしいと言ったとしても、そこは華麗にスルーしてもらえるのが一番ありがたい。
で、恥ずかしいなんて気持ちがふっとんでしまうくらい、とりあえず痛くされるのがいい。お仕置きは中途半端が一番イカンのだ。
こうして書いてみると私ってスパンキは随分自分勝手。
スパンカの性的視線が邪魔だと言い切るのだからwww
もちろん、実際のところスパンカさんが、おしりをぶたれる自分の姿をセクシャルに感じてくれるなら、それはとても素敵な事だと思うし、逆に一連のスパンキング行為にスパンカさんが何かしらの満足を感じてくれなくては、人間関係がテイクテイクになってしまって非常に負い目に感じてしまいますから、そこはホンネとタテマエ。
スパンカさんに性的なものであろうがもっと精神的なものであろうが、何らかの満足をギブできているのなら、スパンキとしても本音ではとても幸せなことなのです。
それでも、お仕置き最中は、結局自分の事でいっぱいいっぱいだからね(笑)
そういった叩きたい、叩かれたいとか、性的なニュアンスは一切意識しない状況の、ストイックで厳格なお仕置きってヤツが、私は好きなんです。
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