許すタイミング



耐えられなくなってからプラスアルファ。

これがいい。

小説を読む時はもちろん、自分がスパされるときも、限界耐えられなくなってもう無理〜!な状態になってから、少しだけプラスアルファで、最後の一泣きをさせられる方が、より後々まで反省を促して効くお仕置きになるようで、その甘えを許されない感が好きです。

打たれはじめはその痛さにショックを受ける。

いくつも打たれているうちに、お尻はどんどん痛くなってきて、たとえ素直にお仕置きを受け始めたとしても、身体が勝手に逃げようとするほど辛くなってくる。

涙も出てきちゃったりなんかして、もう本当に終わってほしいと思う。

そこまで辛くなってくると、心の底から「ごめんなさい」と許しを請うようになるじゃないですか。

もう今すぐこの痛みから解放されたい気持ちでいっぱいで。

でも、その瞬間に許されては、何と言うか、私的には物足りないのですw

もう限界…と泣いてみても終わらない、いくら痛いと言っても聞き届けてはもらえず、既に痛すぎるお尻をさらに容赦なく痛くされて、スパンキはお尻の痛みと共に、甘えが許される事は決してないことを知ります。

ここで少しだけ叩くペースをダウンしたり、インターバルを置いたりして、スパンキを落ち着かせてみるのもいい。

いま一度、なぜこんなに痛い思いをしなくてはならないのか、静かに言い聞かせてみたりするのも好き。

心の底から、反省してる、ごめんなさい、とスパンキは言いますな。

けれどここで終わりじゃない。

その反省をしっかり刻み込むために、最後の一泣きをさせられる、という、ね?

十分たっぷり泣いた後、「最後にあと○回」と宣言されるのもいい。

心の底からの「ごめんなさい」は一度叫んだくらいでは受け入れられなくて、何度も何度も痛みと共に反省させられる時間が最後に少し。


こんな感じが私は好きです。

雰囲気とか叱り方が優しい感じなのは大好きだけど、それであってもお仕置きである以上は一線ピシッと甘えの許されないラインがある。

つまり、許されるか許されないかは、スパンキがどれだけ大きな声で許しを請うたかではなく、ただ必要な反省が十分できたかどうかという、スパンカさんの判断によってのみ決められると言うコト。

そのたった一つだけの厳格さが、お仕置きにはあってほしいと、個人的に思います。

自分がスパされる時、という前提で話をすると、この限界プラスアルファってのは実際かーなーり辛い。

けれど、耐えられる範疇で終わってしまうと、どうもプレイ感が強くなってしまう気がして、まあラブスパとかシチュ設定スパとかなら、それはそれでアリなんだけど、本当に自分の問題に対して与えられる「お仕置き」である場合、それは私は嫌で。

その瞬間、自分がスパ人であることも忘れて、萌えだとか何だとか考えてられなくなるくらい、ただひたすら、痛みと、自分のしたことに対する後悔と反省の気持ちだけで、いっぱいにさせられる時間であってほしいのですね。


まあ、なんともすさまじいハード好みのような書きっぷりですがwwww

スパンキ側の視線でものを書いたので、かなりハードっぽいイメージになっちゃったけど、スパンキがこう感じるお仕置きが、客観的にハードなお仕置きになるのかどうかってのはまた別の話だと思います。

スパンキさんによって痛みへの耐性(?)はどうもかなり個人差があるようなので、ぶっちゃけ私のように平手100でマジ泣き入る人もいれば、パドル100くらいじゃないとマジ泣き入らない人もいるようですし。

要はスパンキが、ああ辛いな、厳しいなと感じる瞬間があれば、それがたとえ平手数十回程度で終わってしまおうと、十分なお仕置きです。(最後にヘタレw)

スパンキの限界プラスアルファなんてタイミング、スパンカさんにとってはやっぱり分かりにくい事この上ないですよね…。

あ、でも、とあるスパンカさんに話を聞くと、その人は意外と、こんな泣き方の時はまだ大丈夫、とか、分かるものらしいですよ?もちろん、2度、3度とお仕置きをしてきた相手なら、ですけど。

お仕置きの最中以外の時間に色々おしゃべりをしたり、一緒に時間を過ごしたりして、スパンキさんの性格なんかも把握できてくると、その辺り察しやすくなるのかもしれませんね。

日常密着の問題に対してお仕置きを与えられたいスパンキの場合は特に、そういうことで色々なタイミング、呼吸のようなものがピッタリ合ってくると、素敵なパートナーライフになるのかも、と思います。


「許すタイミング」なんてタイトルで書いたけど、これじゃ結局「許されるタイミング」になっちゃったwwww


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